2009年10月4日日曜日

ブランドの価値と、それに頼る者の価値

いわゆるブランド物、たとえばヴィトンのようなものを身に付けるということは、自分の価値意識表明の放棄である。それらはすでに価値があるとして世間一般で捉えられている。よって、それを身に付けることで、容易にそのブランドの持つ価値という恩恵を受けることができる。それは実に結構なことだが、あまりにそれに頼ってしまうことは望ましくない。既存の他者の価値をそっくりそのまま受け入れるということは、自分の価値意識を育てるという行為を放棄してしまうことにつながるためである。

また、他の価値観を受け入れるにしてもどのようにそれが受け入れられるかということは十分に考えられなければならない。思い出すが良い、おばはんがボロボロの服にブランドバッグを身に付けている姿を。その姿を見てお洒落だと感じる人はおるまい。むしろ、不相応な組み合わせに対して余計に評価が低くなるのではないだろうか。そのもの自体がどれほどに優れたデザインであろうとも、それ以外の要素が不釣り合いであれば価値は下がるのである。

このように、既存の価値観にすがることはなかなか難しい。もっとも、すべてを自社生産をすることはできない。あらゆる事柄についてイチから自分の価値観で考えて行動することはできないのであって、既存の価値観、そしてブランドに頼るという発想を一概に否定しようというわけではない。人生は限られているのであって、何に時間を費やし、何に時間を費やさないか、すなわち選択と集中が必要である。忙しいときは外食が便利、という発想と同様である。

けれども、あくまでそれは自分のものではない。結局のところ、自分の価値観を信じるにせよ他者のものを受け入れるにせよ、自分の価値観というものがしっかりしていなければうまくはいかない。よく分からないままに他人にすがったところで、おばはんのブランドバッグと同様、無駄金だけを費やして本来の目的は果たされない。

ブランドバッグおばはんは町に溢れているが、あれは安易に他の価値観を受け入れるとみっともなく思われるということを、身をもって警告してくれているのである。

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